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アイキャッチ できごとほうこく

令和7年3月31日任期満了に伴う飯島町議会議員一般選挙が、令和7年3月23日投開票日として行われます。
今回の飯島町議会議員一般選挙への立候補は行わないことと決意しました。


大きな要因は2つあります。

ひとつ目は、令和7年4月からの議員報酬改定です。
この件はこれまで多くのメディアにも取り上げられ、当サイトを通しても皆様に発信を続けてまいりました。議会では約3年間この課題に対して情報収集・実態調査・アンケート・議論されてきました。

その結果「物価上昇に応じ、議員報酬一律増額」です。

どれだけ考えても、どんな角度から見ても、この「物価上昇のため」「一律増額」との結論が理解できませんし受け入れる事ができません。
また、個人の意見だけではなく、住民の皆さんにも説明できない内容だからです。
・住民アンケート(住民の皆さんの声)を全く反映していない結論。
 (住民アンケートで「一律増額」との意見は皆無でした)
・議員だけが物価上昇の影響を受けているわけではない。
・本来の趣旨(もともと社会情勢を考慮する論点ではなく、議会活性化に端を発した内容)から逸脱した内容と結論。 など
このようなことから、改定後の議員報酬は受け取ることができません
これまでとの差額分を返納・寄付とも考えましたが、議員の寄付行為は認められていません。

ふたつ目は、「住民意見を真摯に町政へ反映することのできない議会に身を置くことへの疑問」です。
これについても、最終は12月に行われた「報酬改定」に伴う「住民アンケート結果」に対しての議会の評決、また、これまでの議会報での「定数報酬」に関する記事の扱いです。
議員個人は様々な考えを持ち主張する、これは議員の姿であると思いますが、それ以前に議員は住民の代表です。「選ばれたから偉い」わけでも何でもなく、ただ、いち代弁者になったまでです。
その意見を素直に町政へ反映することができず、色眼鏡によって判断するような議会に何の魅力も感じませんし、身を置く意義がありません。
少なくとも、住民アンケートに反し賛否を決めた者は、自らの意見に対して「議会という公の場で討論」すべきであるし、説明責任を果たすべきと考えます。
議会のオフィシャルな広報媒体である議会報で、「定数報酬」に対するこれまでの経緯と結果を細かく掲載すべきとの働きかけも実行されず、民間メディアのほうが詳しく掲載という結果になりました。

苦渋の決断ではありますが、議会から去るという結論に至りました。

「4年では何も変わらない」「一期じゃしょうがない」との声も聞こえました。
では何年で変えることができるのでしょうか?変わるのでしょうか?
その意識が何も変わらない(変えられない)過去を作ってきたのではないか。
何期もあるから(出来るから)との考えから結論が先延ばしになり、その結果、民意に反し社会情勢に適さない舵を切ってしまう、そんなことを考えます。
町側の施策に実行期日を求めるように、議員にも公約実行期日を求めさらに議員としての期限も設けるべきと考えます。 「期を重ねたから権威がある」のではなく、「住民と町政と真摯に向き合いどれだけ住民の声をそのまま届ける事ができ、政策を質し政策に反映できたか」ではないのでしょうか。


今後も、議員定数・報酬については議論されていくと思いますが、結論が出される時期が次の改選を見込んだ4年後だとすると、結果・検証を行う時期はもう8年先、、、、
その頃この町はどうなっているのでしょう、、、
先送りにしてはならず、この改選期に大きな一歩を踏み出す必要があったのです。

「若い人・賛同者を集めて変えていってよ」との声もいただきました。
今回の「報酬改定」がすべての縮図であった気がします。
新たな若手議員立候補に向け、また各年代均等に議員となる仕組みの構築のためにも、大きな決断となることは、議員誰もが周知の事でした。
委員会の中でも、全員協議会でも、個人的にも訴えてきましたが、私の力不足から住民の皆さんからいただいた貴重な声を評決に持っていくことはできませんでした。

最後は「多数決」なのです。
信念を持ってジャッジできる者が過半数いないと、政策が「あらぬ方向」を向いてしまうのです。

この「変わらない体質」は、なにも今回の報酬に関する事だけではない事もわかった4年間でした。

これまで約4年間、住民の代表として議員という立場で、町政に携わらせていただきました。
この間、多くの皆様のご支援・ご協力をいただき誠にありがとうございました。
また、私のような若輩者にも、「ご意見・ご要望等」をお寄せいただいた皆様に、心からお礼申し上げます。力不足から、すべてにお答えすることができなかったこと、この場をお借りしてお詫び申し上げます。


今後は、別の形で地域を見つめて参りたいと思います。

4年間、お世話になりました。